江戸時代の学校の種類を今回は教育原理の範囲として扱っていこうと思います。江戸時代の学校は大きく分けて、藩校と郷学と寺子屋と私塾があります。
それでは、見てみましょう(*^_^*)
江戸時代の学校。藩校・郷学・寺子屋・私塾を簡単に説明
江戸時代の学校は、簡単に言うと、武家の藩の武士が入る学校と、庶民が入る学校に分かれています。
まず、これで分けてみると、藩校・郷学・寺子屋・私塾はこのように分かれます。
武士が入る → 藩校・郷学(最終的には、藩校も郷学も庶民が入学するところもある)
庶民が入る → 寺子屋・私塾
藩校も郷学も、最終的には庶民が入学したりもするんですが、江戸時代って長いですし、次に明治時代が控えているってことですね。☆
なので、まずは、
武士っぽいのは、藩校と郷学で、
庶民っぽいのは、寺子屋と私塾って覚えてほしいです。
では、それぞれ4つを簡単に説明していきます(*^_^*)
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藩校は凄い武士を育てる学校。幕府崩壊とともに庶民も入学
武士がいくつかのグループになることを藩といって、江戸時代には全国に沢山の藩があります。
で、武士の子どもが入るためにあるのが、藩校です。
藩校で習うのは、中国の学問である漢学や、ヨーロッパのことを学ぶ蘭学、武芸も習いました。
藩校なので、藩校の教育目的は、心身ともに強い武士を育てることです。
武士の子どもとして、女性の学校もあったんですよ。
幕府の崩壊が進む江戸時代末期頃になると、藩校は庶民にも開放されるようになりました。
郷学は遠いところに住む武士の学校。庶民も建ててくれた
藩って広いので、ちょっと遠いところには藩校が建ってないこともあります。けど、そこにも武士は住んでます。
ということで、ちょっと遠いところに住む武士のための学校が郷学です。
郷学は藩が建てたものもありますが、民間が建てた学校もありました。
実は郷学は、明治維新の頃の幕末期から増えていって、明治以降に小学校の役割を持つことになります。
寺子屋はお寺にできた庶民の勉強するところ
さて、ここからは庶民中心の勉強施設を扱います。
庶民ということで、商人の家の子どもも含んでいますよ。
子どもたちは、子どもの期間を経て、仕事に就くようになるのですが、
その子どもの期間に、社会に必要な読み・書き・計算の勉強をするところが寺子屋です。
寺子屋は地域のお寺に、子ども達が集まって、勉強するところでした。
で、寺子屋で基礎的な読み書き計算を勉強した子ども達は、就く仕事に必要な学びをするために、奉公にはいります。
この奉公が、徒弟制度と言われるものです。
私塾は学者が開くすんごい塾
私塾は寺子屋の進化バージョンみたいなものです。
民間の学者が、自宅で、学びたい意欲がある人を集めて講義をする形ですね。
学習内容は、その私塾の開講した人でも違いますが、
漢学を教えるところが多かったようです。
有名な私塾を挙げていくと、
古義堂(漢学) 伊藤仁斎
咸宜園(漢学) 広瀬淡窓
などなどなどですが、また1人ずつ、教育原理で扱おうと思っています。
江戸時代の学習施設の種類は、保育士試験の教育原理で出題
江戸時代の学習施設を今回の記事では扱いました。
保育士試験では、教育原理の科目で出題されます。
教育原理は、普通の教育学部でも学習する内容なので結構難しいですが、頑張りましょう!!